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1.17  ~置き去りにされた生とこころ~
- 2014/01/17(Fri) 05:46 -


~阪神淡路大震災~
読まれることでストレスを感じられるかもしれません。
ご無理なさらずスルーして下さい。
あくまでもとーたんの視点です。








1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒

爺じ 婆ばが暮らす町に地震が起こった
空撮中継で次々と町並みが映る
その中に見覚えのある町並みがあった
お空から見たことがない町なのにそれは理解できた
爺ジと婆バには一切連絡は取れなかった

新幹線なら3時間半 車ならゆっくり行っても8時間
水タンク、オフロードバイク、自転車、そして使えそうなお仕事機材を車に積んで行った
丸1日掛かっただろうか 暗闇のの時刻に着いても地震の巨大さは実感できた
爺ジと婆バのお家こそ何とか堪えていたが、目の前の高速道路は倒壊し至る所で黒鉛が上がっていた

爺ジも婆バも大丈夫だった
一軒の家でありながら 家族でありながら全く別の生活をしているふたり
庭先から掛けるとーたんの声に応えてくれた
婆バはいつもの感じで常に自分で一杯だった
爺ジもとーたんの声ですぐに出てきた
そしてとーたんの後ろに見える光景に口をあんぐりと開け周りを見渡す爺ジ
怖くって表に出れなかったらしい・・

海が傍だった爺ジと婆バのお家
紗礼さんもお散歩した入江からは赤く染まり踊る不気味な空が見えた

余震が続く中 町の復旧工事はすぐにはいった
真夜中でもお家の上では大型の物資輸送ヘリが常に着陸態勢へとホバリングしていた
一日中、急落下式ジェットコースターの様な余震はずっと続いていた
傍では倒壊した高速道路の復旧作業も24時間体勢、工事なのか余震なのか区別が付かないぐらいだった 
24時間行き交うサイレン音・・ 余震が続いていた為なのか それともヘリのホバリングの振動なのか、
地震でヒビがはいったお家の壁や網入りガラスは日々広がっていった
とーたんも爺ジも婆バもいつでもお家を飛び出せるよう寝る時も外出の服を着ていた
というよりも家の中とはいえ 寒くて防寒着を着ていないと耐えられなかった
避難所に入れずブルーシートで屋外へ非難される方たちはこんな寒さどころではなかったろう・・

昼間は地震で湧き出た地下水でご近所の皆さんとお洗濯・・
爺ジの家は庭があったので穴を掘り簡易トイレ、出入り出来なくなっていた門柱を持参した仕事機材で応急処置。
東から来る物資は爺ジと婆バの暮らす町でストップしていた。
お役所ではボランテア志願者たちが溢れ余り、生食材が食べられず山済みになった物資トラックの列・・
車や機材持込で役所に登録をしてみた。数時間後には携帯に連絡が入る。
幾度と水タンクや食べ物などを避難所に持っていく。
救助補助や怪我をされたご老人を離れた町に暮らすご子息へお送り届けることもあった。
良くも悪くもおおくの人たちと出逢う機会があった。

町は恐怖と不安でイッパイだった
それは地震に対するものだけではなく
これからどうやって生きていけばよいのか・・・




阪神淡路大震災 -1週間経った時-


幾日か経ち近所を周って見た。
炎が上がる場所ではビデオをまわせなかった・・
避難所でもビデオをまわせなかった・・

家はなくなり借金はのこる人々
家族に連絡が取れない人々
家族を失った人々
みんな不安で一杯だった

その空間の中 印象的だった情景があった
個人商店が食料品雑貨などを無料で配布
倒壊を免れた民家が振舞う炊き出し
電車が走れない線路では
他の町からリュックを背負い家族を知人を尋ね
繋がっている筈の線路を歩く人々だった。

一軒の家がある
ひとつの家族がいる
我が身を捧ぐ志と祈の叫びは届かない

政府は動いていた
救援や支援、復旧という名を借りた再開発へ向けて・・・。

『阪神・淡路大震災19年 5時46分、冥福祈る』


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