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20年・・  ~置き去りにされた生=活と心~
- 2015/01/17(Sat) 05:46 -


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~阪神淡路大震災~
Great Hanshin earthquake 
*
ここから先はビデオ動画を含め 読まれることでストレスを感じられるかもしれません。
写真画像は全て当時に父と母が暮らす町で撮ったビデオ動画からです。
ご無理なさらずスルーして下さいね。












1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒

紗礼さんにとっての爺ジ 婆バが暮らす町で地震が起こった



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東京のテレビで緊急速報が延々に流れる
空撮中継で次々と映る町並み
その中に見覚えのある町並みがあった
お空から見たことがない町なのにそれは理解できた
爺ジと婆バとなんとか繋がった電話。
電話向こうの親父殿はのんびりした口調だったが、兄嫁との電話中には余震で叫び声が耳に飛び込んできた。
何故かその時期はとーたんでなくても進行出来る仕事内容だけだった。

起きた後の客観的テレビ報道の画面から情報収拾しながら水タンク、パイプヒーターを買出し
そして屋外ストーブ、オフロードバイク、自転車、ジャッキ、念の為ハーネスやザイル・・
思いつく使えそうな仕事機材を機材車に積み込んだ。
普段なら新幹線を使って3時間半 車なら高速を使って8時間の距離・・
東京の地名を付けた消防車やレスキュー車輌のコンボイを何組追い越しただろうか

慣れない高速出口から地道に下ろされと被災地へ向かう道は大渋滞
その多くは車内満員で音楽を大音量で騒ぐ若者の車が多かった
丸1日掛かっただろうか
倒壊によって遮断される道・・
暗闇のの時刻に着いても地震の巨大さは実感できた
爺ジと婆バの家こそ何とか堪えていたが、目の前の高速道路は倒壊
まだ残る赤い炎 至る所で黒鉛が上がっていた



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大きな木製の門柱は出入り口を塞ぐように倒れていた
爺ジも婆バも大丈夫だった
一軒の家でありながら 家族でありながら全く別の生活をしているふたり
爺ジは庭先から掛けるとーたんの声に応えてくれすぐに出てきた
そしてとーたんの後ろに見える光景に口をあんぐりと開け周りを見渡す爺ジ
怖くって表に出れなかったらしい・・
婆バはいつもの感じで常に自分一杯で登場してきた

海が傍だった爺ジと婆バのお家
紗礼さんもお散歩した入江からは赤く染まり踊る不気味な空が見えた

昼夜を問わず鳴り響く緊急車輌のサイレン・・
真夜中でも家の上では物資輸送用なのか大型ヘリが常に着陸態勢をとり順番待ちのホバリングしていた
お尻の下から突き上げる衝撃の直後、垂直降下式ジェットコースターの様な余震はずっと続いていた
そんな余震が続く中、町の復旧工事はすぐにはいった
家の傍では倒壊した高速道路の復旧作業も24時間体勢、工事なのか余震なのか区別が付かないぐらいだった 
24時間行き交うサイレン音・・ 余震なのか、高速道を壊す振動なのか、それとも大型ヘリの振動なのか、
地震でヒビがはいった家の壁や網入りガラスは日々広がっていった。



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とーたんも爺ジも婆バもいつでもお家を飛び出せるよう寝る時も外出の服を着ていた
というよりも家の中とはいえ 寒くて防寒着を着ていないと耐えられなかった
避難所に入れずブルーシートで屋外へ避難されてる方たちはこんな寒さどころではなかったろう・・
昼間はご近所の皆さんとガレキを整理、地震で湧き出た地下水を使ってご近所交代で洗濯・・
爺ジの家はスーパーゼネコンが建てた鉄骨製のお陰なのか外観は壁面のコンクリ部分がフラッグ程度で済んでいた
崩れたお隣さんとの境界ブロック塀の片付け、庭もあったので穴を掘っただけだが簡易トイレを作り
出入りを塞ぐ様に倒れた無駄にデカイ木造門も機材車で何とか引き起こす事が出来た。

* * *

東から来る物資は爺ジと婆バの暮らす町でストップしていた。
西へ向かう物資輸送トラックたちは誘導されず立ち往生・・
隣街では食料が足りない筈なのに役所の脇には食べられず山済みになった生食材・・
役所内はボランティア志願者の人たちが食事は与えられても仕事は与えられず溢れかえっている
名誉/肩書、他責界でマニュアルしか読めないお役人相手にも念のため車や機材持込で登録をしてみた。
持ち出しの機材車を求めて数時間後にはとーたんの携帯に連絡が入る。



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地元の人たちと共同で倒壊家屋を周り再度生存者の確認・・
救助補助や怪我をされたご老人を離れた町で暮らすご家族宅への送迎・・
全国から頂いた飲料水や食べ物、オムツ、乳児用ミルクなどを団地やマンション、小さな避難所、集会所へ・・

そんな移動中にも色んな方と出逢った・・
海外から移住されてまだ慣れないのでしょう・・
集会場を遠目に見つめる女性の姿
どうやら日本語が喋れなく住人と解けこめず・・
不安そうに赤子を抱っこするお母さんにも遭遇することもあった・・
「オムツとミルクは足りていますか?」と差し出すもどうやらそれら食料や生活品を求めてはいなかった様で
「足りています」と言っておられるのかジェスチャー付きで微笑を見せてくださった
もしかしたら家でちいさな赤ちゃんといるのが不安だったのかもしれない・・

良くも悪くも多くの人たちと出逢う機会があった。

町は恐怖と不安でイッパイだった
それは地震に対するものだけではなく
これからどうやって活きていけばよいのか・・・




阪神淡路大震災 -1週間経った時-



幾日か経ちあらためてビデオカメラを持って近所を周って見た。
記録しておかなければ・・
風景撮り気分で三脚など持ち歩ける空間がある筈もなく・・
炎が上がる場所 煙燻る場所ではビデオもまわせなかった・・
避難所でもビデオをまわせる筈もなかった・・



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家を失い職を失い借金だけがのこる人々
家族に連絡が取れない人々
家族を失った人々
みんな不安と悲しみという逃げ場のない恐怖で一杯だった・・・。

その空間の中 印象的だった情景があった
個人商店が食料品雑貨などを無料で配布
倒壊を免れた民家の奥様が通り過ぎる人ひとりひとりに声を掛け炊き出しを振舞う・・
電車が走れないねじれた線路上を辿り 他の町からリュックを背負い家族や知人が暮らす町を尋ねる人々・・
繋がっている筈の道と線路を地名を尋ねながら歩く人々と出逢う・・。



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一軒の家がある
ひとつの家族がいる
我が身を捧ぐ志と祈の叫びは届かない

人が存して町がうまれる
その町が街をつくる

政府、行政は動いていた
元である人が暮らす心は後へと圧し退けられ
救援や支援、復旧という名を借りた再開発事業へ向けて・・・
震災が人災へと移りかわり20年経った今でも続いている・・・。


『1・17のつどい』(神戸新聞DIGITA公式)
【阪神淡路大震災から20年】芦屋・精道小学校 折り紙の花を献花(サンテレビ公式)
【阪神淡路大震災1.17のつどい】(サンテレビ公式)
【阪神淡路大震災から20年】神戸・東遊園地1.17のつどい(サンテレビ公式)
【震災報道の記録】(サンテレビ公式)
『鶴瓶上岡パペポTV ~笑わすことができない~』(読売テレビ 1995年1月27日放映コピー)


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コメント
- Re: はじめまして。 -
小雪さん
はじめまして こんにちは。

沢山の勿体無いお言葉を有難う御座います。

> 今回、震災を題材に深いメッセージが込められおり涙してしまいました。

書いては消し書いては消しの何度も書き直した今回の日記
実はつい先ほども書き直しておりました・・・
小雪さんにとって辛く苦しい思いにさせませんでしたでしょうか・・

動画やブログ紹介はネット上なので制限は御座いませんが、今回の日記(震災後の記録)はとーたんの視点から偏った部分が多く御座います・・
どうか公開の場の選択を吟味の上宜しくお願致します。
本当に有難う御座います。

※メールフォーム( POST-MAIL)に書き込めなかったとの事でご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした。
PC環境での確認ではありますが、現在は書き込める様ですのでまた何か御座いましたらそちらからでもご一報下さい。
その時点でメールアドレスもお伝え出来る状況になりますのでご理解の程宜しくお願致します。
2015/01/21 23:50  | URL | とーたん #u2lyCPR2[ 編集] |  ▲ top

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2015/01/21 15:20  | | #[ 編集] |  ▲ top


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